「かわいそう」と「おいしそう」のお盆
お盆は仕事に遊びに忙しい。
今日も朝早くから野菜を収穫し、そのまま八千穂高原のペンション村で軽トラ朝市。その後は集落のお盆の魚つかみ取り大会のため、水門に直行。私は水路係なので、ドラクエとかに出てくる「水門の鍵」をもって山の中の水門を閉じる。こうすると水路の水が少なくなり、子供たちが放流した虹鱒をつかみやすくなるわけだ。
昨年は私が水門を閉め忘れたため、水量が減らず、しこたま怒られた。水路はほとんど整備されていない小川のようなもので、水門を閉めても1kmくらい下流のつかみ取り会場の水量が減るまで一時間くらいかかるんですよね。
水門から家に戻り、つかみ取り会場でやる焼肉に提供する野菜と合鴨の準備。合鴨はまだ脂も乗らずあまりおいしくないが、集落の人には餌を貰ったり、逃げた合鴨を捕まえてもらったりと世話になってるので、もっていく。
もっていくと、集落の人から「食べるのか?おやげねえ(かわいそう)」といわれてしまう。普段は蜂の巣を食べつくしたり、鹿やら猪を食べ、今日も、虹鱒をわざわざ放して追い掛け回して捕まえて食べようなんて考えてる人でも、目の前で合鴨がさばかれるのは抵抗があるようだ。
仕方がないので片隅で、狩猟が得意な土方の親方と二人でさばく。
みんなは可哀想と言うが、合鴨をさばいて羽根をむしり終えて、生命が肉の塊に変わるあたりから、みんなの「かわいそう」は「おいしそうに」変わる。
結局、農村の人でも、肉はスーパーで買うのである。スーパーのお肉のコーナーには沢山の生き物の死体が並んでいるのに、それを可哀想という人はいない。砂肝の一パックにはそれこそ何羽分もの鶏の死が詰まっているのにそれを「残酷だ」という人はいない。
みんな、生命を食べると言うことに残酷な面があることを忘れている。「おいしそう」と思うというとこだけ、まさに「おいしいとこ取り」しているのである。
僕は農業をやっていて毎日色いろなものに、死を与えている。雑草や、害虫だけでなく、野菜たちでさえ収穫することで死を与えている。農薬を使わないので害虫を殺すときは、指でつぶす。
戦争に例えれば、農薬散布が飛行機からじゅうたん爆撃して焼き尽きつくすということとすれば、私の殺し方は顔の見える敵兵を銃剣で刺し殺すのに近い。死は何トン爆弾を落としたかという数字ではなく、手の感触を伝わってくる私が殺した相手の生命の鼓動の終わりとして実感するのである。
正直、可哀想と思うときがしょっちゅうある。でもその可哀想を乗り越えないと、人が生きていけないことを知っているので、例え合鴨であろうと、私は死を与えることができる。別に趣味や悪戯で殺すのではない。私自身が生命であるがゆえに生命に死を与えるのだ。
だから、生命の死が、私に生命を与えるとき、
その恵みに感謝して「いただきます」というのである。
という難しいことは抜きにして、今日はダッチオーブンで合鴨のローストにしました。
午後は飲み過ぎて寝ていました。
水門を明け忘れていたので夕方子供と閉めに行き、獲り過ぎた虹鱒をご近所や朝市で世話になったペンションに配って回りました。
今日も朝早くから野菜を収穫し、そのまま八千穂高原のペンション村で軽トラ朝市。その後は集落のお盆の魚つかみ取り大会のため、水門に直行。私は水路係なので、ドラクエとかに出てくる「水門の鍵」をもって山の中の水門を閉じる。こうすると水路の水が少なくなり、子供たちが放流した虹鱒をつかみやすくなるわけだ。
昨年は私が水門を閉め忘れたため、水量が減らず、しこたま怒られた。水路はほとんど整備されていない小川のようなもので、水門を閉めても1kmくらい下流のつかみ取り会場の水量が減るまで一時間くらいかかるんですよね。
水門から家に戻り、つかみ取り会場でやる焼肉に提供する野菜と合鴨の準備。合鴨はまだ脂も乗らずあまりおいしくないが、集落の人には餌を貰ったり、逃げた合鴨を捕まえてもらったりと世話になってるので、もっていく。
もっていくと、集落の人から「食べるのか?おやげねえ(かわいそう)」といわれてしまう。普段は蜂の巣を食べつくしたり、鹿やら猪を食べ、今日も、虹鱒をわざわざ放して追い掛け回して捕まえて食べようなんて考えてる人でも、目の前で合鴨がさばかれるのは抵抗があるようだ。
仕方がないので片隅で、狩猟が得意な土方の親方と二人でさばく。
みんなは可哀想と言うが、合鴨をさばいて羽根をむしり終えて、生命が肉の塊に変わるあたりから、みんなの「かわいそう」は「おいしそうに」変わる。
結局、農村の人でも、肉はスーパーで買うのである。スーパーのお肉のコーナーには沢山の生き物の死体が並んでいるのに、それを可哀想という人はいない。砂肝の一パックにはそれこそ何羽分もの鶏の死が詰まっているのにそれを「残酷だ」という人はいない。
みんな、生命を食べると言うことに残酷な面があることを忘れている。「おいしそう」と思うというとこだけ、まさに「おいしいとこ取り」しているのである。
僕は農業をやっていて毎日色いろなものに、死を与えている。雑草や、害虫だけでなく、野菜たちでさえ収穫することで死を与えている。農薬を使わないので害虫を殺すときは、指でつぶす。
戦争に例えれば、農薬散布が飛行機からじゅうたん爆撃して焼き尽きつくすということとすれば、私の殺し方は顔の見える敵兵を銃剣で刺し殺すのに近い。死は何トン爆弾を落としたかという数字ではなく、手の感触を伝わってくる私が殺した相手の生命の鼓動の終わりとして実感するのである。
正直、可哀想と思うときがしょっちゅうある。でもその可哀想を乗り越えないと、人が生きていけないことを知っているので、例え合鴨であろうと、私は死を与えることができる。別に趣味や悪戯で殺すのではない。私自身が生命であるがゆえに生命に死を与えるのだ。
だから、生命の死が、私に生命を与えるとき、
その恵みに感謝して「いただきます」というのである。
という難しいことは抜きにして、今日はダッチオーブンで合鴨のローストにしました。
午後は飲み過ぎて寝ていました。
水門を明け忘れていたので夕方子供と閉めに行き、獲り過ぎた虹鱒をご近所や朝市で世話になったペンションに配って回りました。
この記事へのコメント
デビゥ〜?
ヽ(^o^)丿おめでとうございます。ヽ(^o^)丿
専用ID作ってもらえばいいのに。
5歳で「食べちゃうの?」という発言はさすがです。
すばらしい。
沖縄式?
そう、結局は外のオトナがなんやかや言ったって、
子供が一番わかちあいたいのは親。
「何度もそのつど」っていうのを親が地道にやるのが
一番の近道なんだろうけど、残念ながら今の大半の親には
そんな余裕も発想もないんだよねぇ。。。
大人ですら「食」と「いのち」が結びついてないもん。
さっきまで一緒に飲んでたおじいさんが、
「みなさん、病院ではなく家でのんびり死にましょう。
そして、その死に様を孫に見せることが最後の務めです」
ってことを言っておられました。
私の場合は、祖父母よりも愛犬の死に様でした。
僕がいつもお世話になっている農家さんのブログです。
得意技は忍法「サスケ」です!!
高原の夏はにぎやかなんでしょうね。